Interview先輩インタビュー

Q:最初に創業のきっかけについて教えてください。
どうして社長は会社を始められたんですか?

父の会社に兄と勤めていたんだけど、兄とはずっとケンカしてたんだよね。すぐに従業員をクビにするから。そのうち父親が、いずれ兄弟2人でやってても、何年か先にうまくいかなくなるだろうと。その時に会社を2つに割るようなことになると、兄貴の方が本家なんだから、おかしくなるぞと。お前は父親の俺が元気なうちに、自分で始めなさいと言ったんだよね。  ただ条件としては、お客さんを1人も連れて行っちゃいけない。従業員も1人も連れて行っちゃいけない。1人でやりなさい、ということだった。でもそれが良かったんじゃないかなと思う。何故かというと、お客さんを大事にすることと、働いている人を大事にすることができた。全部自分で、色々とつてを頼ったりして集めたからね。金は、父が「俺が元気な限りは、なんかあったら面倒見るから」と。  一番良かったのは、材料屋さんやなんかは全部ツケで取れたってこと。普通は自分で会社を始めたら保証金を入れたりで、材料の購入なんかは大変なんだけど、まだ親父が元気で、それで材料屋さんを呼んで、まずうちのせがれを頼むと。なんかあったら俺の方で責任を持つから、って言ってくれた。それと今住んでいる家がそうなんだけど、あそこで会社を出しなさいと。それで、なにがしかのお金を貰って、そこへ自宅兼店舗を建てた。だから厳しいといえば厳しかったけれど、普通の人よりもスタートの環境としては良かったんだよね。

恵まれていた面もあったんですね。それはおいくつの時だったのですか?

まだ26~27歳じゃないかな?

今振り返ると「いや、良かったよ」という話になると思うのですが、当時26歳で、 お前1人でやれと言われてどうでしたか。

実は早く歳を取りたかったんだよね。まだ若いのにね。我々設備業というのは、意外と後の保証とかが色々とあって、物を買う仕事と違って信用が大事だったから。

評判とかですね。

ええ。当初は、こんな若いのに仕事を任せられないというお客が多かった。

それで事業をスタートさせたわけですが、トントン拍子にいかれたのですか?

いや、それこそもうつらい時期も時もあったね。12月の25日に不渡り手形もらってね。

今、笑っていらしゃいますけど。

だから当初は、忘年会もできないから、働いている人にうちのおかあちゃんが料理を作って、うちで忘年会をやったりしてた。それと社員旅行も、お客さんの保養所を「いいよ石井さん、使ってくれて」って。

使っていいよ、とは?

こんな性格だから、お客さんには好かれてたんだよね。「保養所を使いなさいよ」って言われて、安く湯河原の保養所を使わせてもらって、それを社員旅行にしたりね。

何年目くらいから軌道に乗ったのですか?

赤羽の再開発をきっかけにだね。

それはいつ頃のお話でしょうか? 昭和50年くらい?

うん、そんなもんじゃないの。たまたま私が下請けとして、駅の周りの都営住宅を本家から請け負ってやってて。その建築屋さんが赤羽の建築屋さんだったんだよ。それで非常に気に入っていただいた。

それから、その会社さんと仕事をするようになったと。

要は、「石井さん、民間もやるのか?」と言うから、「いやあ、やりますよ」と言ったら、「じゃあ、うちのをちょっとやってみてよ」って。そこの社長さんが、ある程度忙しくなってきた時に、「もう石井以外は使うな」と言ってくれた。私は元請けさんを大事にしていたから、お客さんに非常に気に入っていただいた。ところが、その会社がうまくいかなくなってきた。そのお客さんのおかげでここまでなったのにだよ。  それで、実家の方に相談に行ったんですよ。そうしたら、「お前が手を引いたら、潰れるのが早まるだけだろう」と。じゃあどうしようか?と言ったら。売上をもっと増やすようにやるんだと。そこで、そのお客さんと役所関係の仕事を一緒に始めた。

なるほど。

民間工事が主だったけど、役所の仕事を50%くらいにもっていった。そこで仲の悪い兄からアドバイスがあって、「お前、1回不渡りくらったら、銀行なんか金を絶対に貸してくれないから借りとくんだ」と。

貸してくれないですよね。

うん。「今から借りとけ」と言われて。「使わなくてもいいから」ってね。それで小切手を切って、手形を回収して歩いちゃったんです。そんな行動を材料屋さんも見てて、えらい信用してもらった。そういう意味では兄貴とは仲がいい(笑)。

石井専務が生まれたのも、その赤羽の再開発が始まった頃ですね。

うん、そう。

じゃあ、少しずつ良くなってきたんですね。改めてお聞きしますが、「社長にとっ て、仕事とは何ですか?」と聞かれたら、何て答えますか?

いや、もう社会のためよ、本当に。それを忘れたらダメ。キザなようだけど。お客さんに必要ないと思われたら、もう存在価値がないもんね。

従業員に対して一番思いを込めているところはどこですか?

親以上に面倒を見てやらないとダメだね。今は本当にアメリカナイズで色々とあるけど。まだ日本の企業というか、昔からの良さというか、これを捨てたらただの金儲け集団だよね。これは私の考えだけど、金があれば幸せを買えるか?と言ったら買えない。ただ防げるんですよ、不幸は。お金があれば。

そうですね。

ただ、幸せは買えないから、一生懸命やる。これ、本当にキザなようだけど、本心なの。

冒頭でお兄さんがどんどん人を切ってしまったとおっしゃっていましたが、当時の 社長ご自身は「いや、俺はそんなに簡単に切らない。こいつはちゃんと目をかけてあげ れば上手くいく」ということが20代で分かっていらっしゃったと思うのです。だから 先ほど言われたのは含みのある、非常に良いお言葉ですね。  これからも若い方が会社に入ってくると思いますが、その人たちへのメッセージとし て、こういうことを意識して働けとか、こういうことを考えながら生活すると人生が面 白いよといったようなことはありますか?

ありきたりだけど、夢を持ってやらないと。夢といったって、色々なのでいいんですよ。良い車に乗りたいとか、家が一軒欲しいとか、何でもいいから夢を持ってやらないとね。あと特に言いたいのは、うちの会社の場合は若い人からヨレヨレまでいっぱいいるわけですよ。でもテレビじゃ平均年齢三十いくつで、って会社をよく見るよね。

確かによくありますね。

だけどそんなのは、逆に言うと長くいられない会社なんだから。かえって平均的にずっといる会社の方が、私は魅力があるんじゃないかなと思う。

専務からお聞きしたのですが、社長は体格が良いですねという話をしたら、国士館 のレスリング部だったと。国士館のレスリングは想像しただけで僕も嫌になるというか (笑)。もう何かの組織よりすごいと。その経験が仕事で役に立っていることってありま すか?

役に立っているんだか立っていないんだか私も分からないけれど、物事に動じず、筋論として意見を言えるようになったね。つい皆空気を読んで、なんとなくこの場で言ったらまずいんじゃないかと思ってしまうけど、おかしなことはおかしいと。

最後に、未来の石井設備工業についてお聞きします。お年寄りも長く働ける時代に なった一方で若い方がどんどん入ってくるわけですが、未来の石井設備工業はどうなるでしょうか?

みんな分かってくれてないんだけど、うちの会社は大きくしようと思っていないんですよ。一定の大きさがあればいいだろうと。その一定の大きさというのは、絶対に潰れない会社で、国でいうとイスラエルみたいに周りが全部敵でも一番強い国。ああいう会社を目指したいなと思って。ただそれには内部留保が相当なきゃならない。 だから人材と、一番大事なのは情報だと思ってます。だから情報だけは、あらゆる手を使って集めるようにしている。あれをケチってるようではダメ。

お金では買えない価値がありますからね。 以上です。どうもありがとうございました。

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